亀岡・嵐山1泊2日旅行記の「(3) 早朝の亀山公園、竹林の小径、野宮神社を訪れ、天龍寺の曹源池庭園に一番乗り」です。
前後の旅行記もあわせてご覧ください。
- 亀岡・嵐山1泊2日旅行記 (1) サンガスタジアムの寄附者向け内覧会に参加する
- 亀岡・嵐山1泊2日旅行記 (2) 翠嵐ラグジュアリーコレクションホテル京都「柚葉」に滞在して、「茶寮八翠」のシャンパンディライトの後、「京 翠嵐」で晩飯
- 亀岡・嵐山1泊2日旅行記 (3) 早朝の亀山公園、竹林の小径、野宮神社を訪れ、天龍寺の曹源池庭園に一番乗り
- 亀岡・嵐山1泊2日旅行記 (4) 翠嵐ラグジュアリーコレクションホテル京都の「京 翠嵐」で朝食を食べ、のぞみ20号で帰る
早朝の亀山公園の展望台へ
目覚ましで6:20に起きる。
日の出時間を調べると、京都は7:00だそうだ。
6:45の外の様子。
6:50くらいにホテルを出る。
亀山公園へ。亀山公園の展望台からの保津峡の眺めが良いらしいので。
野生の猿に注意情報が。
先月訪れた鷹峯地区のアマン京都と同様、京都盆地と「西山」の境界部分に位置するからね。
かなりの急階段を登っていく。
7:10頃に展望台に到着。
平安時代の人が愛でたという風景。
奥に見えるのが「ほしのや京都」で、高台にあるのが「大悲閣 千光寺」かな?
展望台から後ろを振り返ると、京都市街と東山の尾根も見える。
早朝の竹林の小径
この後、竹林の小径の方に進んでいく。
公園内、ほとんど人がいない。
しかし、旅先ではいつも深夜まで飲み歩いていた自分が早朝の京都を散歩するようになるとはなぁ(苦笑)
竹林の小径には多少人がいる。
野宮神社
7:40に野宮神社に。
野宮神社については、以下の説明をご覧ください。
その昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。
嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。
これがその黒木の鳥居(皮つきの丸太で造った鳥居)と小柴垣。
黒木の鳥居の木材はクヌギ、小柴垣にはクロモジを使うそうだ。
黒木の鳥居と小柴垣は、「大嘗宮」(天皇陛下の即位に伴う一世一度の大嘗祭のために造営された建物)でも見たね。
人がいない境内で振り返ったら白猫がいてびっくりした(笑)
「野宮じゅうたん苔」。
平安時代中期に成立した『源氏物語』。
その「賢木(さかき)」の、光源氏が(伊勢に下向する前の)六条御息所を訪れる場面で以下の記述がある。
ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、板屋どもあたりあたりいとかりそめなり。黒木の鳥居ども、さすがに神々しう見わたされて
承応3年(1654)版『源氏物語』が国立公文書館のデジタルアーカイブで見られる。
参考:源氏物語
「賢木」の挿絵(7ページ)には黒木の鳥居と小柴垣が描かれている。
天龍寺の曹源池庭園に一番乗りする
昨日は人が映らない写真を撮るなど不可能だった、嵐山のメインストリート(長辻通り)も人がまばら。
8時過ぎに天龍寺の境内へ入った頃、雨が降り出した。拝観は8:30から。
天龍寺の沿革・歴史は公式ページ参照。
名勝嵐山や渡月橋、天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては境内地であった。
この地はその昔、檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地で、檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ。
その地に足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。
拝観料は庭園を見るだけだと500円、諸堂(方丈、書院、多宝殿)も見る場合は800円。
8:30の拝観開始と同時に建物内へ。なんと一番乗り!
夢窓疎石が作庭した曹源池庭園をしばし独り占めできた。
多宝殿。
8:55頃に天龍寺を出る。
嵐電嵐山駅のキモノフォレスト
あれ、朝ごはん何時までだっけ?
多分、10時までだよね?
9時頃に嵐電嵐山駅に。
キモノフォレスト(600本の京友禅の光の林)を見て回る。
続きは以下をご覧ください。