東京から呉日帰り旅行記の「(4) 「歴史の見える丘」から戦艦大和建造ドックを見て、大和波止場へ」です。
前後の旅行記もあわせてご覧ください。
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「歴史の見える丘」から戦艦大和建造ドックを見る
「歴史の見える丘」近くで降ろしてもらい、国道487号線の「子規句碑前」のバス停付近から戦艦大和建造ドックを撮る。巨大すぎて全貌が映らない。
ジャパン・マリンユナイテッドのドックでは大型船が建造中(?)であった。
歩道橋を渡って、「歴史の見える丘」に。
右に「澤原為綱翁之像」が見える。
1839-1923 明治-大正時代の公共事業家。
天保(てんぽう)10年7月19日生まれ。広島県安芸(あき)郡長,同郡所得税調査委員などをへて,明治23年貴族院議員。大阪築港,小樽築港,広島市の上水道敷設などにつくした。大正12年4月8日死去。85歳。安芸(広島県)出身。
だそうで、昼間見た「三ツ蔵」(旧澤原家住宅)の所有者の家系の人みたい。
「噫(ああ)戦艦大和塔」。左が戦艦「長門」の主砲の徹甲弾、右が「大和」の主砲の徹甲弾。大和の徹甲弾は直径46cmで長さ1m98cm、最大射程は42kmという。
時刻は16:45。日が暮れてより寒くなってきた。
タクシーに戻り、呉駅方面に向かう。
大和波止場
大和ミュージアムのすぐ隣の大和波止場前で降ろしてもらった。
大和波止場というのは、下の案内にもある通り、戦艦大和の前甲板の左半分を実寸大で再現したもの。
広大である。フットサルコート何面取れるかな?と考えていた。
大和波止場の最先端まで行って、夕暮れの呉湾を眺める。
「大和ミュージアム」に「てつのくじら館」。また今度家族で来たときにでも伺おう。
大和ミュージアム前にあるのは、室蘭の日本製鋼所で製造され、戦艦「陸奥」に搭載された41センチ主砲身とのこと。
2017年11月に見た『ブラタモリ 室蘭』によると、室蘭に日本発の民間兵器工場が作られたのは、「砂鉄」(原料)「石炭」(燃料/夕張から供給)「良港」という3条件が揃ったからとのこと。
時刻は17:05。広島空港行きシャトルバスの呉駅前出発時間は17:40。歩いて駅に向かう。
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