能登・金沢・糸魚川1泊2日旅行記の「(5) 糸魚川市大規模火災の現場を見て、ヒスイ海岸を訪れて、東京へ戻る」です。
これまでの旅行記もあわせてご覧ください。
- (1) 和倉温泉の「信寿し」で昼飯を食べ、「のと楽」の立ち寄り湯へ
- (2) 小丸山城跡を訪れ、七尾城跡に登った後、七尾線で金沢駅へ
- (3) 夜のひがし茶屋街を散策した後、主計町の「鮨木場谷」で晩飯
- (4) にし茶屋街から片町・香林坊を抜けて、長町武家屋敷まで散策する
- (5) 糸魚川市大規模火災の現場を見て、ヒスイ海岸を訪れて、東京へ戻る
「はくたか568号」で糸魚川駅へ
「はくたか568号」に乗車。
ちょうど加賀から越中への山越えしてるときのGoogle Maps。
富山駅が近づくと、昨年訪れた「呉羽丘陵」が進行方向右手に見えてきた。呉羽丘陵から見る立山連峰が最高だったなぁ。
呉羽丘陵をトンネルで通過。
呉羽丘陵は、富山平野を二分する丘陵で、呉羽山断層の西側が盛り上がってできたとのこと。
富山駅あたりから進行方向右手に立山連峰が迫ってくる。
これは黒部川。
越中から越後への山越え。またしばらく電波が届かなくなった。
糸魚川駅に近づくと、進行方向左手に海が見えてくる。
新幹線からも大規模火災のあった場所が確認できた。そこだけ建物がなく、海が見えやすくなっている。
糸魚川市大規模火災の現場を見て回る
糸魚川駅に到着。
新幹線改札のすぐ右手にあるコインロッカーに荷物を預ける。
駅前。海までの距離は300m位。
タクシーに乗車。運転手に、出火場所、被害の範囲を確認したいと伝える。
出火場所はここ。ここから南風に煽られて、奥(北)に延焼していった。写真中央の建物は類焼を免れたらしい。
で、その建物の先からまた焼失している。
ここは、慶安3年(1650年)創業で、新潟最古の酒蔵だったという「加賀の井酒造」さんがあった場所。
ここは「越後」の地だが、酒銘が「加賀の井」である理由は、
江戸時代、糸魚川市は加賀百万石の参勤交代の宿場であった。承応元年(1652年)、加賀三世前田利常公の時、当地に本陣が置かれ、その時に利常公より酒銘『加賀の井』は命名された。
ということらしい。
海岸道路に一番近い区画では、ショベルカーが基礎を解体して、整地にする工事をしていた。
手前が工事中で、奥が整地された後。
これ見れば分かる通り、ホント海で延焼が止まった形。
ここは創業約200年という料亭「鶴来家(つるぎや)」があった場所。門柱と松を残して全焼。まさかここまで類焼するとは思わなかったので、貴重な美術品などを退避することができなかったとのこと。
この狭い道路を挟んで、右側は焼失。右のビニールシートで覆われている場所が、加賀の井酒造さんの敷地だ。当日の強烈な南風が想像される。
加賀の井酒造さんの対面にある北越銀行は、鉄筋コンクリート造りのため建物が残って、現在も営業中のようだ。
駅前のこの通りが飲み屋街っぽいね。
この後どうしようか迷ったが、近くに海水浴場があるらしいので、行くことにした。
ヒスイ海岸
着いたのは、ヒスイ海岸。糸魚川は日本最大のヒスイ原産地らしい。
砂浜がなくて、小石ばかりの海岸。
並が荒くて、ビビった(笑)
日本海激しい。 pic.twitter.com/uCaIpm98en
— jun (@odakyu_de_go) 2017年9月13日
ヒスイは見つからなかった・・・
駅に戻る。
またもや数分の差で新幹線を逃した・・・今回はいろんなところでタイミング悪い。
「ヒスイ王国館」でお土産を買う
駅の隣にある「ヒスイ王国館」という施設へ。飲食店とお土産屋が入っている。
何か買って、復興を応援しようということで、ヒスイのピアスを買った。
あと、自分用に「雪鶴」という日本酒を。
こちらの店、モンベルクラブの優待店だった。現金で払えば、3%割引になるそうだ。
以前、長野県小谷村にふるさと納税したことによって、わたくし、モンベルクラブ会員になっている。会員証持ってくればよかった・・・
時間があったら、この「ブラック焼きそば」というの食べたかった。また今度だね。
糸魚川駅に戻り、スーツケースを回収。「はくたか572号」のモバイルSuica特急券を購入。
はくたか572号で東京駅へ
駅のホームから、火災現場を見た。
「はくたか572号」に乗車。
車内では、この旅行記の下書きを書いていた。
旅は楽しい。
北陸新幹線を利用する場合、「えきねっと」から予約したほうがお得な場合と、「e5489」から予約したほうがお得な場合と2種類あります。
以下の記事で整理していますので、ぜひご覧ください。