東京から呉日帰り旅行記の「(2) 長ノ木の三ツ蔵を見てから、朝日町を通って、「くれまち珈琲 とうせんば」へ」です。
前後の旅行記もあわせてご覧ください。
- 東京から呉日帰り旅行記 (1) れんが通りの「多幸膳」で呉焼き
- 東京から呉日帰り旅行記 (2) 長ノ木の三ツ蔵を見てから、朝日町を通って、「くれまち珈琲 とうせんば」へ
- 東京から呉日帰り旅行記 (3) 両城の200階段を登った後、「アレイからすこじま」から潜水艦・駆逐艦を見る
- 東京から呉日帰り旅行記 (4) 「歴史の見える丘」から戦艦大和建造ドックを見て、大和波止場へ
- 東京から呉日帰り旅行記 (5) くれ観光情報プラザで『この世界の片隅に』ロケ地マップを貰い、JAL266便で帰路に
- 東京から呉日帰り旅行記 [補遺] 絵本『とうせんばからのてがみ』(よこみちけいこ)について
長ノ木の三ツ蔵を見に行く
タクシー運転手に「三ツ蔵」と言っても通じないだろうから「旧澤原家住宅」と伝えたが、それでも通じなかったので、地名(長ノ木)を伝えて、あとはGoogle Mapsのルートを元にナビをした。
ここで降ろしてもらった。「国重要文化財 旧澤原家住宅」の案内板がある。
立派な家が出現。
進んでいくと、なまこ壁の蔵が見えてきた。
これか?これだっけ???
三ツ蔵。すずさんが北條家から呉市街地に出る時に登場する建物だけど、これじゃなかったような・・・
三ツ蔵と奥の蔵の間に階段があったので降りてみた。
あ、あった(笑) なんだ、反対側を見てたのか(笑)
1945年7月1日の呉市街地を襲った無差別焼夷弾爆撃によって、市街地は灰燼に帰してしまったようだが、山裾の旧澤原家住宅や蔵は無事だったようだ。
三ツ蔵の前にあった二つの史跡案内。
澤原家というのは、「江戸時代後期に、庄屋・割庄屋を、明治以後は安芸郡長、貴族院議員、呉市長等を努めた」旧家とのこと。
また、旧澤原家住宅は、宇都宮黙霖(うつのみやもくりん)という尊王思想家の終焉の地でもあったようだ。「特に吉田松陰には、激しい書簡のやり取りによって大きな影響を与え、明治維新の陰の力になったとも言われています。」というのは興味深いね。是非その書簡のやり取りを見てみたい。
ここに来る前は、「『この世界の片隅に』の聖地巡礼の人がいっぱいいたら、一人で来ている俺恥ずかしいな」と思っていたが、一人もおらず、要らぬ心配だった(笑)
三ツ蔵の前。
少し南側に歩いていって、三ツ蔵に戻ってきてみたら、一人だけ写真撮ってる女性がいた。
『のん、呉へ。2泊3日の旅』に、「三ツ蔵の脇にある石段を上って、建物の裏手にまわると、素敵な路地を発見!」とあったので、私も行ってみることに。
さっき降りてきた階段を上がる。
そこから左方向へ。
フォトブックで見たのと同じ光景が現れた。数ヶ月前、のんちゃんもここを歩いたのね(笑)
山裾に立っているので、道を挟んで住宅の高低差が凄いことになっている。
しかし、ここは完全な住宅街。この細い路地をiPhone片手に歩いていたら、通りがかった老婆にすごく不審がられた・・・
さて、次は、近くに「メロンパン」という店名の有名なメロンパン屋さんがあるようなので、行ってみよう。
長ノ木→朝日町→本通7丁目
三ツ蔵があった場所は「長ノ木」という地名だった。
そこから呉市医師会館前を通って、「メロンパン本店」まで行ったのだが、呉市医師会館がある場所の地名は「朝日町」であった。
朝日町と言えば、『この世界の片隅に』のなかで、リンさんが働いていた遊郭があった場所だ。
おもわず、遊郭の痕跡を求めて歩き回ったが、それらしきものは見つからなかった。映画では、朝日町は1945年7月1日の空襲で瓦礫の山となっていたからあるわけ無いか・・・
この堺川を越えると、町名が「本通7丁目」に変わる。
堺川を超えたところに「くれまち珈琲 とうせんば」という喫茶店があった。ちょっと気になるが素通り。
本通りに出ると目の前に「メロンパン本店」が見えた。
メロンパン本店
本通7丁目の歩道橋の上から。
山側。
駅側。左折する道路の先は、呉市内に来る時に通った休山トンネルだ。
カラーリングからしてメロンパン。
中央のテーブルに残っていたメロンパンと思しきものを2個買って、お土産にしたのだが、翌日食べてみたら、「チーズクリームinレモン」だった。
「メロンパン」のメロンパン食べたい(´・_・`)
「メロンパン本店」の精算機が先進的だった。
くれまち珈琲 とうせんば
多幸膳で「海軍さんの麦酒」を飲んだ後、寒い中歩き回ったので、トイレ行きたくてたまらない。
「メロンパン本店」に来る時に見かけた「とうせんば」という喫茶店に行くことにした。
入って右手に厨房。奥にテーブル席が一席あった。2階もあった。
2階へ。和室が広がっていた。靴は畳の前で脱ぐ。
ブレンドコーヒーを注文。
コーヒーを持ってきてくれた時に、店主に「この辺が昔遊郭だったのかどうか」聞いてみようかとも思ったが、気を悪くしたら嫌だなと思って、やめた。
呉滞在時間も長くないのでササッと飲んで切り上げる。
次は『のん、呉へ。2泊3日の旅』にも紹介されていた「両城の200階段」ってところに行ってみよう。
三ツ蔵に行く時に乗ったタクシーのレシートを見て、呉市医師会館前に配車手配。
会計時にやっぱり聞いてみようかなと思ったが、入店時にはいなかった女性のお客さんもいたので、やめた。
タクシーに乗車。
運転手に思い切って、「この辺って遊郭だったんですか?」と聞いてみた。運転手は「そうそう」と。
「どの辺がメインストリートだったのか?」と聞いてみたら、先ほどの呉市医師会館前の交差点から東の部分とのことなので、思わず降ろしてもらって写真を撮った。
とはいっても、運転手が物心ついた頃にはもう遊郭はなく、全て伝聞とのことだが。
『この世界の片隅に』というアニメ映画があって、その中の登場人物の一人が朝日町の遊郭で働く女という設定だったんだと説明した。
今西通りとの交差点(相生橋西詰)を西に行くと、急に飲食店が増える。今西通りが、娑婆と遊郭(朝日町)の境目になっていたのかもしれない。
くれ観光情報プラザで貰ったロケ地マップ(画像)によると、すずが砂糖を買いに行った闇市の名前が「東泉場(とうせんば)」となっていた。なるほど、喫茶店「くれまち珈琲 とうせんば」は「東泉場」に由来するんだね。でも、「くれまち珈琲 とうせんば」があった場所は、かつて「東泉場」と呼ばれた場所ではないからややこしい。
なお、深作欣二監督の『仁義なき戦い』では、1946年の呉の闇市からヤクザ同士の「仁義なき戦い」がスタートする・・・
少し進むと、堺川に沿った通りになる。運転手によると、こういう橋の上で遊女が立っていたらしい。こちらのほうが遊郭のメインストリートではないかと思ったので、また降ろしてもらって(笑)写真を撮った。
中央橋の南側には飲み屋街が広がっていて、中央橋を越えると今見てきたとおりに遊郭が広がっていたとのことだった。
続きは以下をご覧ください。