桑名・名古屋1泊2日旅行記の「(2) 七里の渡し、桑名城跡、六華苑を訪れる」です。
前後の旅行記とあわせてご覧ください。
- 桑名・名古屋1泊2日旅行記 (1) 東京駅から桑名駅まで移動して、「はまぐり食道」で昼飯
- 桑名・名古屋1泊2日旅行記 (2) 七里の渡し、桑名城跡、六華苑を訪れる
- 桑名・名古屋1泊2日旅行記 (3) 名古屋マリオットアソシアホテルにチェックインして、「江戸前鮨 大塚」で晩飯
- 桑名・名古屋1泊2日旅行記 (4) リニモに乗って、長久手古戦場を訪れ、「幻」のコメダ珈琲店長久手店へ
- 桑名・名古屋1泊2日旅行記 (5) 愛知環状鉄道線で岡崎に移動し、岡崎城を訪問して、東京へ帰る
「七里の渡し」を訪れる
歩いて行くと時間かかりそうだったので、駅前からタクシーに乗る。
桑名城跡の近くに「七里の渡し」というかつての東海道五十三次の宿場町があるみたい。そちらに先に行くことにした。
「桑名宿と宮宿(現名古屋市熱田区)の間は江戸時代の東海道唯一の海路で、その距離が七里(約二八キロ)あることから、七里の渡と呼ばれました。」とのこと。
「七里の渡し」の鳥居は、伊勢神宮の宇治橋の鳥居のリサイクルだそうで、式年遷宮ごとに建て替えれているんだそうだ。エコだね。
伊勢神宮・外宮の正殿の棟持柱⇒宇治橋のおはらい町側の鳥居⇒七里の渡しの鳥居というリサイクルを確認する。
目の前は木曽三川の一つ揖斐川。ここから熱田まで行ってたんだねぇ。
ところで、なぜ東海道はこの「熱田-桑名」区間だけ海路なのか?
私が桑名を訪れた翌週に、『ブラタモリ 熱田』が放送されて、「七里の渡し」について触れられていた。
そこでは、
「低湿地に木曽三川が氾濫すると水浸しになって何日も待たなきゃいけない」(タモリ)
「濃尾平野の西側には木曽三川と呼ばれる3本の大きな川があります。陸を進むと、川幅がそれぞれ数百メートルもある川を渡ることになります」(ナレーション)
と説明されていた。
広大な木曽三川を見た後だから深ーく納得した。
なお、大坂城落城後、千姫(徳川秀忠の娘で豊臣秀頼の正室)は、初代桑名藩主の本多忠勝の孫・忠刻と再婚することになるが、
大坂城落城後の七月、千姫が江戸に帰る途中、桑名の七里の渡しの船中で、たまたまこれを指揮する忠刻の颯爽とした男ぶりを見初め、心をときめかした。これが翌元和二年(一六一六)九月、忠刻に再嫁するきっかけになったという微笑ましいエピソード
引用:『シリーズ藩物語 桑名藩』
もあるそうだ。
桑名城跡の蟠龍櫓を見学
さて、この後、桑名城跡に行こうと思ったが、Google Mapを見ると、ジョサイア・コンドルの建築が残っているという「六華苑」も近くにあるみたい。しかし、桑名城跡とは方向が反対側。
迷った末、先に桑名城跡に行くことに。
揖斐川沿いを下流に進む。
これは桑名城の蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)の外観復元。1階は水門管理所で、2階は展望台兼資料室になっている。
蟠龍とは「地面にうずくまって、まだ天に昇らない龍」とのことだそうだ。
櫓の前にあった説明書きによれば、この蟠龍櫓は、「東海道を行き交う人々が必ず目にする桑名のシンボル」だったそうで、「歌川広重の有名な「東海道五十三次」でも、海上の名城と謳われた桑名を表すためにこの櫓を象徴的に描いています」とのこと。
これね。
ウォーキングしている人を見かける。
桑名城跡の九華公園を訪れる
かつての桑名城の本丸近くに「柿安」の本社ビルがどんと構えていた。
桑名城跡は「九華公園」として整備されていて、その入口付近に、本多忠勝像が。本多忠勝は初代の桑名藩主。大河ドラマ「真田丸」では「藤岡弘、」が演じていたね。徳川四天王の一人が配されるほどに桑名が交通の要衝だったということだね。
九華公園の堀。
ソテツがあったり、ヒマラヤスギがあったり。
この公園や鎮国守国(ちんこくしゅこく)神社がある辺りが本丸跡のよう。
なお、鎮国とは松平定綱(鎮国公)、守国とは松平定信(守国公)のこと。
天守台跡もあったが、崩壊の危険があるため立入禁止になっていた。
桑名城跡から六華苑へ向かう
さて、少し遠いが、流しのタクシーなど走っていないし、歩いて六華苑に向かう。
気になったマンホール。折り鶴?
これは北大手橋という橋からの眺めだが、橋に歌川広重の浮世絵がはめ込まれていて、新旧対照ができる仕掛け。
「七里の渡し」付近にある本陣と脇本陣跡には明治時代から「船津屋」が営業とのこと。
その先に、老若男女がたむろしている場所があると思ったら、「七里のわたしゆ」という銭湯だった。行きたかった。
六華苑のジョサイア・コンドル設計の洋館を訪れる
15時に「六華苑」に到着。
説明書きによれば、六華苑は「二代目諸戸清六の邸宅として、大正2年に竣工」したとのこと。
初代諸戸清六は、以下のような人物であったらしい。
明治維新の後も新政府高官の知遇を得、また西南の役や米相場で利潤を上げるなど30万円を蓄財、明治19年には海防費2万円を政府に献上し、翌年には特旨をもって従6位に叙せられました。また一方で田畑、山林を購入、経営し、日本一の大地主となりました。
入口から徒歩数十秒で、目当てのジョサイア・コンドル設計の洋館。
以下は、コンドル設計の旧古河邸を訪ねたときのレポート。
庭園から。
洋館と和館が連結されている。
印象的な円筒形の塔屋は内側から見るとこんな感じ。応接室。
こちらは2階部分。
陽光降り注ぐバルコニーが素晴らしかった。
桑名市の六華苑。
ジョサイア・コンドル設計の洋館のバルコニー。 pic.twitter.com/XTtbAdRD3t— jun (@odakyu_de_go) 2017年6月24日
和館へ。
廊下の長さが凄い。
入口近くの桑名市PRコーナー。桑名の千羽鶴は市の無形文化財になっているようだ。それであのマンホールのデザインね。
この六華苑、いろんな映画やドラマの舞台になっているようで、韓国映画『お嬢さん』もここで撮影が行われたようだ。
六華苑の「Rocca」でお茶
休憩。洋館前に立つ「Rocca (ロッカ)」というカフェ・レストランへ。
デザート盛り合わせ。500円。あと紅茶を頼んだ。
ここはブライダルハウスでもあるようだね。
タクシーを手配して、桑名駅に戻る。
運転手が、ユネスコの無形文化遺産に登録された「日本一やかましい」という「石取祭」について教えてくれた。
桑名でのタイムラインはおおよそこんな感じ。紺色の線はタクシー移動、水色の線は徒歩。
桑名駅から名古屋駅に移動。