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旅行記

富山市2泊3日観光 (2) 旧神通川の流路・流域を想像しながらの「環水公園→富山城→常夜燈」

こんにちは。

ポイントとマイルを貯めてあちこち旅行するのが好きな、jun(@odakyu_de_go)と申します。

富山市2泊3日観光の「(2) 旧神通川の流路・流域を想像しながらの「環水公園→富山城→常夜燈」」になります。

これまでの旅行記は以下をご覧ください。

環水公園のスタバで朝食

7:30に起床。

環水公園まで散歩して、スタバで朝食を食べよう。

環水公園のスタバは6年前(2016年4月)にも訪れている。

「ちむどんどん」を見てから外出。

駅前の道路はホント広々しているな。富山に空襲あったのかな。

広々とした富山駅前の道路

15分くらいで富岩運河環水公園に到着。

富山市の環水公園

平日なのでとても空いている。

富山市の環水公園のスタバの外観

スタバの前に「富岩水上ライン」というクルーズ船の案内があった。せっかくだから乗ってみようかなとも思ったが運休日だった。

ハムエッグサンドとホットコーヒーを注文。スターバックスアプリで支払い。テラスで頂いた。

富山市の環水公園のスタバのテラス席

富山市の環水公園のスタバで朝食

気持ちいいな。

食後、天門橋に。

富山市の環水公園の天門橋

両展望塔をつなぐ「赤い糸電話」はコロナで中止になっていた・・・笑

あれが運河クルーズ船だね。

富山市の環水公園の運河クルーズ船

天門橋から見た立山連峰。曇っているが迫力あった。

富山市の環水公園の天門橋から見た立山連峰1

富山市の環水公園の天門橋から見た立山連峰2

前回初めて富山に来たときに一番驚いたのはこの迫ってくる立山連峰だったな。

富岩運河の歴史を説明する案内板があった。

富岩運河の歴史を説明する案内板

前回訪問時に学んだが、今いる場所は旧神通川の流域だったんだよね。

神通川は以前は蛇行していたため、富山市街にたびたび大きな洪水の被害を与えていました。そこで、明治34年に馳越(はせこし)分水路を開削したところ、水は徐々に分水路へ流れるようになり、やがて分水路が本川となりました。旧河川の流路の名残が現在の松川です。さて、神通川の流路変更により洪水は少なくなりましたが、富山市街地の真ん中に出現した広大な廃川地(はいせんち)は市街を分断し、都市発展の障害となっていました。そこで運河を開削し、その掘削土を廃川地の埋め立てに利用するという、一石二鳥の妙案が出されたのです。

博物館だより

富山城見学

富山城を見に行こう。

バス停「環水公園」から「市役所前」へ。

松川でもクルーズ船が運航。

富山市の松川のクルーズ船

さきほどの引用部にもあったように、この松川というのが「旧神通川」の流路の名残とのこと。

富山城の千歳御門を表側からと裏側からと。

富山城の千歳御門1

富山城の千歳御門2

千歳御門は富山城で唯一の現存建物とのこと。同一建築様式の城門は「東大の赤門」など数少なく貴重らしい。

総欅造りの三間薬医門で、屋根は切妻造本瓦葺、桁行六メートル、梁間一・九メートル。同一建築様式の城門は「東大の赤門」として知られる旧加賀屋敷御守殿門(国重要文化財・東京都文京区)など数少ないことから、県内はもとより全国的に見ても貴重な江戸時代の城門です。

富山城1

まずは鉄門(くろがねもん)の石垣を見る。

安山岩と花崗岩の野面積み。

富山城の鉄門の野面積みの石垣

鉄門の枡形には布積みも見られ、目を引く鏡石も。

富山城の鉄門の布積み

富山城の鉄門の鏡石

富山市郷土博物館となっている富山城の天守に。

富山城2

天守前の案内板。

富山城3

やはり富山市は空襲を受けていたのだな。

富山市郷土博物館では、かなり丁寧に富山城の歴史が解説されていた。

この後に見に行く予定の「船橋」の古写真も。

神通川の船橋の古写真

これは前田利長が用いたと伝えられている、銀鯰尾形兜(ぎんなまずおなりかぶと)。肩凝りそう。

前田利長の銀鯰尾形兜(ぎんなまずおなりかぶと)

千歳御殿の説明もあった。

千歳御門は、嘉永二年(1849年)に千歳御殿が造影された際に建てられたと考えられているとのこと。

東大の赤門が建立されたのは文政10年(1827)。千歳御殿の千歳御門はそれに倣ったのかな?

加賀藩13代藩主前田斉泰(なりやす)は、文政10年(1827)に11代将軍徳川家斉(いえなり)の娘溶姫(やすひめ・ようひめ)を正室に迎えた。この門は、その際に建立された御守殿門。当時、三位以上の大名が将軍家から妻を迎えた場合、その人・居所を御守殿と称し、表通りからその場所へ出入りする朱塗りの門を御守殿門と呼んだ。

文京区 東京大学赤門

4階からは四方が望める。金網があるのが残念。

富山城の展望台から

旧神通川の川幅を伝える常夜燈

徒歩で旧神通川に架けられていた「船橋」の(下流に向かって)右岸の常夜燈へ。

旧神通川の船橋の常夜燈(右岸)

ここから向こうが旧神通川だったのだ。

慶長11年(1606年)頃に、前田利長がそれまで船の両岸を結んでいた船渡しを船橋に改めたとのこと。

64艘の船を並べて鉄鎖で繋ぎ、その上に橋板を渡して往来できるようにしたという。

歌川広重の「六十余州名所図会」に紹介されている。

参考:六十余州名所図会・越中 富山船橋 文化遺産オンライン

松川(旧神通川)にほとりに降りると、橋の側面に船の形をデザインした突起が付けられていた。

船橋のデザインの突起

旧神通川の川幅を想像しながら反対側の常夜燈まで歩いてみる。

現在の神通橋

反対側の常夜燈(左岸)まで200メートル以上あった。

旧神通川の船橋の常夜燈(左岸)

頼三樹三郎が詠んだ七言絶句の碑もあった。

頼三樹三郎が詠んだ神通川の船橋の七言絶句

尊王攘夷の志士として活躍した頼三樹三郎(頼山陽の第三子)も、嘉永元(一八四八)年に越中を通過した時に、「鉄鎖江に横たひて万丈長し 急流矢の如く響琅々たり 五更、鴉唱いて人蹤白し 六十四梁、舟板の霜」という七言絶句を作った。この詩が刻まれた碑が、北岸の常夜灯そばにある。

舟橋にまつわる話 | GOOD LUCK TOYAMA|月刊グッドラックとやま

ちなみみに、安政の大獄により刑死した頼三樹三郎の墓は、小塚原回向院から改葬されて、うちの近所の松陰神社(東京都世田谷区)にある。

「手打ちそば深明」で山かけそば

睡眠不足&昨晩のブラックラーメン完飲&午前中ずっと風に吹かれていることが原因かと思うが、どうも腹の調子がいまいち。

お腹空いているのにお腹に元気がない感じ。

温かいもの食べようということでそば・うどん屋を探す。

「手打ちそば深明」へ。

参考:手打ちそば深明 – 新富町/そば | 食べログ

山かけそば(1,500円)を注文。

富山市の「手打ちそば深明」の山かけそば1

富山市の「手打ちそば深明」の山かけそば2

とろろが混じったつゆが美味。しっかりと蕎麦の香りがする本格的な蕎麦だった。

店員のおばちゃんが愛想よくて、山菜サービスしてくれた。

食後は胃が元気になったよ。

ホテルに戻る前に「マルート」に寄る。

海鮮コーナーに行ったら朝採れの白海老が売ってた。ここで売ってる寿司もうまそうだった。

富山市のマルートの白海老

13時過ぎにホテルに戻る。8時過ぎから5時間近く散策したので疲れた。休憩。

続きは以下をご覧ください。

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