上田・金沢旅行。
日程は、2019年12月11日(水)~13日(金)。
- (1) あさま611号で上田駅へ、上田城跡を見て、「Fika」で晩飯
- (2) バリューブックスのブックカフェを見てから、旧北国街道の柳町を訪れ、「おお西」で昼飯
- (3) ANAクラウンプラザホテル金沢にチェックインして、「すし屋 小桜」で晩飯
- (4) 鈴木大拙館と谷口吉郎・吉生記念金沢建築館を訪れ、かがやき512号で帰路に
金沢のかわいこちゃんが12月限りで夜の仕事を辞めるという。
お疲れ様を言ってこようということで金沢行きを決める。
この機会に、2016年の大河ドラマ『真田丸』以来気になっていた上田にも行ってみたい。
上田1泊、金沢1泊の2日3日の旅行にする。
旅行当日までの準備
10月29日に、1泊目のホテルとして「相鉄フレッサイン長野上田駅前」を予約。
相鉄フレッサインに宿泊する際は、「相鉄ホテルズクラブ」に登録した上で、(安価で入手できる)「相鉄ホールディングス」の株主優待を利用して宿泊するのがお得。
宿泊料金が「10%割引」になる上に、チェックアウト時に500円のキャッシュバックが受けられる。
2泊目のホテルとして、ANAクラウンプラザホテル金沢を予約。
ANAクラウンプラザホテルに「最安値」で泊まる方法は以下。
移動はすべて新幹線なので、当日にモバイルSuicaで取ることにする。
あさま611号で上田駅へ
自宅から上田駅までルートを調べたら、東京駅から新幹線に乗るよりも大宮駅から乗ったほうがいいらしい。
12時過ぎに大宮駅に到着。
モバイルSuicaで12:30発のあさま611号の特急券を購入。
上越・北陸新幹線は、JR東日本の「えきねっと」でもJR西日本の「e5489」でも予約可能だが、JR東管轄内の東京駅-飯山駅の間については、「えきねっと」での予約がお得。
駅弁の店で「とり飯」を購入。
群馬に貢献するつもりでね。
あさま611号に乗車。
弁当のシールをよく見ると、製造者は東京都の業者。
登利平の鳥めしじゃなかった・・・
騙された気分・・・
ま、美味しかったけどね。
上越・北陸新幹線のグリーン車には、東海道・山陽新幹線のグリーン車に付いている足置きはないよ。あれがあると荷物を前に置けないし、邪魔だと思うんだけど・・・
車内では、千田嘉博教授の『真田丸の謎 戦国時代を「城」で読み解く』を読んでいた。
高崎市箕郷町あたりから榛名山。
県境を超え、軽井沢からの浅間山。
この特急列車の名前の由来でもある。
13:40に上田駅に到着。
上田藩主居館跡
駅舎に六文銭のマーク。
予約していた相鉄フレッサイン長野上田駅前は、本当に駅の目の前だった。
15時からのチェックインなので、荷物だけ預ける。
早速上田城を見に行こう。その途中に上田藩主居館跡というのもあるようなので、そちらに寄ってから行こう。
駅前広場にある真田幸村公像と六文銭マークの時計。
上田駅からは、しなの鉄道と上田電鉄別所線というのも出ているんだね。
駅から北に伸びる大通りは、旧北国街道に通じる。
真田十勇士のキャラクター像が。
堺雅人、単に三井住友銀行の広告キャラクターなだけなんだけど、『真田丸』の主人公役だっただけに、上田で見るとまた違った趣がある、、、笑
マンホールにも六文銭。
標識にも。
徹底してるなぁ。
上田高校の敷地内にある上田藩主の屋敷門と堀跡。
関ヶ原の戦いの後、昌幸と信繁は紀伊の九度山に蟄居させられ、信繁の兄の信幸が上田城主となる。
ただし、徳川を2回も苦しめた上田城は家康の命で破壊され、信幸はこの居館に住んだとのことだ。
上田藩の文武学校「明倫堂」跡に建つ上田市立第二中学校の壁には狭間が。
写真撮り損ねたが、上田市立第二中学校、とても近代的な建物だった。
上田城跡
第二中学校の前に上田城の二の丸橋。
その下は深い堀になっている。
二の丸東虎口。
二の丸東虎口を抜けると、だだっ広いスペース。
出陣前の兵が待機する「武者溜り」という場所だったらしい。
本丸東虎口の櫓門。
櫓門の前にも深い堀が作られている。
桜の時期に来たらキレイだろうね。
櫓門の石垣の巨大な真田石。
櫓は登れるようだが、冬期は休業とのこと。先週の羅須地人協会と一緒だ(笑)
櫓門を後ろから撮ったところ。
この南北2棟の櫓は、明治8年に民間に払い下げられ、上田城の北方、太郎山山麓の上田遊郭に移築されてた時期があるらしい。それを買い戻して、1949年に現在地に復元したとのこと。
一方、櫓門は、古写真を根拠に平成5年度に復元されたものとのこと。
本丸東虎口を抜けると目の前に真田神社がある。
巨大なカブト(笑)
参拝してから神社の裏手に。
深い真田井戸。城の北方の太郎山麓の砦に通じていたとのこと。
これは寛永期の建築当初の部材を残し、外観もほぼそのままの姿を残すという西櫓。
西櫓から見るこの断崖絶壁が凄い。
上田城築城当時は、この崖の下に千曲川の分流が流れていたらしいから、南側の防御は鉄壁だったんだろう。
本丸跡には、戊辰役上田藩従軍紀念碑があった。
上田藩は新政府側に与して、北越戦争、会津戦争に参加したらしい。
「家康の命で築かれた上田城」という案内板には、二の丸堀の北側と西側は「百間堀」と呼ばれる大きな堀だったと書かれていた。
現在は、昭和3年に完成した野球場と陸上競技場になってるとのことなので見に行く。
これか。
野球場の右奥に陸上競技場があるみたい。
ここから坂を下っていくと大通りにぶつかる。
するとこの崖が表れる。
東の方に進んでいく。
この辺りは、江戸時代には千曲川の分流が流れていて、尼ヶ淵と呼ばれていたらしい。
この尼ヶ淵によって形成されたのがこの河岸段丘の険しい崖。
崖の地層は3層で、上から上田泥流層、下が染屋層(川の作用で砂礫が堆積したもの)で、この2つの層の間に、火砕流に由来する粉塵が堆積しているとのこと。
火砕流に由来する粉塵は、軟らかくてもろいため、大水のたびに崖が削られてしまい、崖が崩れて櫓に被害が及ぶ心配があったため、上田藩主・松平忠愛(ただざね)は享保18年(1733年)から石垣を築いて、崖を侵食から守ったとのこと。
それがこれね。
これは浦添グスクのハクソーリッジ並に凄い崖だわ。
最初に見た、二の丸橋下の堀に戻ってきた。
昭和3年には上田温電北東線という電車が通っていたらしい。
時刻は16時。
二の丸橋前にあるお土産屋で、真田グッズを色々購入。
『サマーウォーズ』って上田が舞台という設定だったんだね。
店の人にタクシーを呼んでもらい、16:30頃、ホテルに戻る。
相鉄フレッサイン長野上田駅前にチェックイン
相鉄フレッサイン長野上田駅前にチェックイン。
ホテルからの眺め。
歩き回って疲れたな。
食べログで今日の晩飯場所を探して、19時から予約。
それまでは休憩。
「Fika」で晩飯
夜の六文銭。
タクシーで「Fika」へ。
私が最初の客だった。
カウンターの一番手前の席へ。
ここは自然はワインの店だそうで、まずは微発泡のオレンジワインをいただく。
うーん、旨い。
建物は築80年の元自転車屋をリノベーションしたものだそうで、置いてあるアイテムもレトロ。
薪ストーブ。
元はバイクの修理工場だったらしい
前菜の盛り合わせをお願いした。
野菜にパテにソーセージにチーズに近くのぶどうのレーズン、サバとポテト
旨い。
微発泡ワインをもういっぱい飲んでから、もっと濃いオレンジワインを。
牡蠣のオイル煮も追加。
Google Mapsのレビューに対するお礼が来た。
更にオレンジワイン。オレンジワイン大好き。
上田出身のオーナーシェフと京都出身のソムリエ。
ソムリエとは、亀山市に建設中の京都サンガのスタジアムの話などをした。
2022年にサンガスタジアムに行くことができた。
この後頼んだ赤ワインと穴子の赤ワイン煮は、ちゃんと撮ったつもりなのにピンぼけだった・・・笑
あとから、常連さん、一見さんが見えた。
薪ストーブが本気出してきた。
トイレは2階。
2階はテーブル席で凄く広かった。
2時間位ゆっくり食事できた。
いい食事だった。
タクシーを呼んでもらう。
最後に、店舗に併設のワインセラーを見せてもらった。
東京からわざわざ買いに来る人もいるらしいよ。
上田の夜の繁華街
さて、このままホテルに帰るか迷った末に、繁華街に近いところで降ろしてもらった。
しばらくあたりを散策。
『サマーウォーズ』デザインの自販機があった。
「クラブプラチナ」というキャバクラに入店。
意外に広くて、作りもちゃんとしているお店だ。
面白いことに、地元の若い子は、松本城に対して上田城に凄く引け目を感じているらしい。
二度も徳川勢力をやっつけた上田城の防御力は誇っていいよという話をした(笑)
一人、群馬出身、しかも、父親の実家がある藤岡出身の人がいて驚いてしまった。
そろそろ帰ろうかなーと思っていたときに、きりっと可愛い女の子が来たので指名。
気に入った旅先があるとそのまま定住してしまう旅ガールだった。
というわけで、旅の話をしていた。
24時半くらいにお開き。
歩いてホテルに戻り、26時くらいに寝た。
翌日の旅行記は以下をご覧ください。