こんにちは。
ポイントとマイルを貯めてあちこち旅行するのが好きな、jun(@odakyu_de_go)と申します。
昨年のSFC修行で無事、スーパーフライヤーズカードをゲット。
「今年はプレミアムポイントを気にせず自由気ままに旅してみよう」ということで、2016年2回目の旅は、ANAマイル利用の特典航空券でソウルへ。
行きはANAのビジネスクラス、帰りはアシアナ航空のビジネスクラス。
日程は2016年2月4日(木)~2月5日(金)
これまでの旅行記は以下をご覧ください。
高宗が皇帝に即位した圜丘壇
ウェスティン朝鮮ソウルの部屋からは圜丘壇(えんきゅうだん、환구단)の付属施設らしきものが見えた。工事中みたいだが。
圜丘壇とは何か。
中国では、古来から皇帝が天壇で祭天の儀式を行っていた。しかし、朝鮮では、祭天を行う事ができるのは中国の皇帝だけであり、中国の皇帝から冊封されている朝鮮国王は、祭天を行えないとされていた。ところが、日清戦争で日本が清に勝った結果、下関条約で朝鮮は中国からの独立が認められ、1897年に朝鮮国王は大韓帝国皇帝に昇格した。そのため、独自に祭天を行うこととなり、中国の天壇のまねをして圜丘壇を作った。
ホテルを出て、その場所に行ってみる。正面玄関を出て、すぐ右にある。説明書きにはこうあった。
圜丘壇は皇帝が天に祭祀を行う場所で、皇壇又は円丘壇ともいう。朝鮮後期にはこの場所に中国の使臣を迎えた南別宮があったが、高宗(1852-1919)が1897年に皇帝に即位するにあたり帝国の礼法の(ママ)則り圜丘壇を建設した。1897年(光武元年)10月に完工された圜丘壇は祭祀を行う3段の円形の祭壇と天の神の位牌を祭る3階建ての八角形の建物である皇穹宇、石鼓と門などで構成されていた。日帝強占期の1913年に朝鮮総督府は皇穹宇、石鼓、三門、夾門を除いた圜丘壇の諸施設を撤去し、その場所に朝鮮京城鉄道ホテルを建てた。
皇帝の祭祀施設の本丸である圜丘壇を撤去して、そこに朝鮮京城鉄道ホテル(1970年に建て替えられて現在のウェスティン朝鮮ソウルに)を建てちゃったっていうんだから乱暴だよな・・・
この工事中の建物は、天の神の位牌を祭った皇穹宇(황궁우)。
これが圜丘壇の正門である石彫大門(석조 대문)。
階段の真ん中の石は踏道(답도)と言って、王様が通る道らしい。「輿をかついだ臣下がそれぞれ両脇の階段を登ると、中に乗っている王がちょうど踏道の上を通る形」(『韓国の歴史をめぐる旅 ソウル編』)になるという。そういえば、那覇の孔子廟でも同じものを見たな。
これが石鼓(석고)。
徳寿宮
ウェスティン朝鮮ソウルからすぐ近くの徳寿宮(덕수궁)に行ってみよう。ホテルの前にいた車両誘導係みたいな人にどっちに歩いて行ったらいいか尋ねる。普通に日本語で教えてくれた(笑)
ホテル近くにある宮殿風のスタバ。
徳寿宮の入場門らしきものが見えるが、大きな道路に阻まれてどう行ったらいいのか。
地下道があったので入ってみた。
11番の入り口から入って、2番から出て、横断歩道を2回渡って、大漢門という徳寿宮の入り口へ。
入場料1,000ウォン払って、入場しようとしたら。
守門将の交代式が始まったので10分位見学。月曜以外の11:00、14:00、15:30から行われるらしい(雨天を除く)。
徳寿宮の中に入ると、人がまばらで静か。ブラブラと見て回る。
これは昔御堂(석어당)。
韓国の5大王宮の一つ徳寿宮は、元々は朝鮮時代の王族で成宗の兄、月山大君の邸宅だったが、豊臣秀吉による文禄の役(1592年)に際して義州に避難していた宣祖が、荒廃した景福宮(ソウルの宮殿は秀吉軍の入城前に朝鮮の民衆によって焼き打ちにあっていた)に代わる臨時の王宮とし、慶運宮と命名した。
李氏朝鮮の第14代国王・宣祖が、荒廃した景福宮に代わり、臨時の王宮としたのが現在の徳寿宮で、昔御堂は宣祖が暮らした場所らしい。
説明書きによれば「昔御堂は徳寿宮唯一の木造2階建てで丹青が施されていないため、素朴な民家のようである」。なお、「丹青(단청)」とは、白・黒・赤・青・黄の五色を使ったカラフルな装飾方法とのこと。
第15代国王の光海君(광해군)が昌徳宮(창덕궁)に王宮を移すと、徳寿宮は廃墟となったらしいが、第26代国王・高宗の時代に、徳寿宮は再び歴史の表舞台に登場する。高宗は、先ほど訪れた圜丘壇で皇帝に即位。
ロシアに接近した閔妃(高宗の妃)が、公使・三浦梧楼によって暗殺されるという事件(乙未事変(을미사변))の後、高宗はロシア公使館に避難しつつ政治を行うようになる(俄館播遷(がかんはせん、아관파천))が、ロシア公使館から戻った高宗が政治を行ったのが今の徳寿宮という。ハーグ密使事件によって譲位させられるまで、高宗はここで政治を行ったようだ。
これは石造殿(식조전)。説明書きによれば、「石造殿は高宗が寝殿兼便殿として使用するために建てた洋式の石造建物で、イギリスの建築家ハーディング(J.R.Harding)が設計し、1910年に完工した」。石造殿は、高宗の子で皇太子の李垠(이은)(梨本宮家の方子と結婚)が里帰りした際の宿泊施設としても使われたらしい(『日韓皇室秘話 李方子妃』)。
中和殿に繋がる中和門(중화문)。
中和殿(중화전)。
中和殿の内部。天井には双龍が。
内部の天井には2匹の龍が描かれていますが、この爪の数は7本となっています。これは龍の爪の数が中国、韓国を問わず大部分が5本で王を表すのに対し、7つは皇帝を象徴します。
静観軒(정관헌)。説明書きによれば、「この韓洋折衷のエキゾチックな建物の中で、高宗は外交使節とコーヒーを楽しんだと言われている」。洋風だが、意匠は韓国の伝統様式。
ソウル日本大使館前の慰安婦像
徳寿宮前でタクシーを拾い、景福宮(경복궁)へ向かう。光化門広場(광화문광장)の脇を通って行くのだが、光化門広場から光化門(광화문)・北岳山(북악산)の眺めがワンダフルでここで降ろしてもらいたかったほど。
景福宮の東側で降ろしてもらう。3,000ウォン。降りてからしばらくして気づいたが、手袋片方をどこかに落としてしまったみたい。タクシー車内かな・・・
Google Mapを見ながら、すぐ近くの日本大使館へ向かう。
周辺はやたら警備の警察官がいる。
慰安婦像のところへ。慰安婦像撤去を防ぐために寝泊まり?してると思われるグループと、像に話しかけてるグループがいた。下の地図のピンがあるところが日本大使館、その前の道の反対側に慰安婦像は建てられている。
「think coffee」で暖を取る
暖を取るために日本大使館裏手のビルの1階の「think coffee」※へ。少し薄い気もするが熱々のコーヒーで温まる。
※既に閉業とのこと
静かで落ち着ける店内。
持ってきたガイドブック見ながら今後の予定を考える。さっき見た光化門前の風景が素晴らしかったので光化門前へ行くことに。15:30過ぎに店を出る。
光化門広場
景福宮の正門である光化門。
後ろを振り返ると・・・広大な拡幅。もともと16車線あった世宗路(세종로)の中央6車線を広場にしたという。
光化門広場を南に歩いて行くと、李氏朝鮮第4代国王・世宗大王(세종대왕)の銅像が。10,000ウォン札に描かれている王様。
ハングル(訓民正音)の制定を行ったことで知られ、儒教の理想とする王道政治を展開したことで、朝鮮王朝における最高の聖君と評価されている。韓国では子供から老人まで幅広い層に尊敬されている国民的英雄である。
さらに南に行くと、北岳山(북악산)を背景にいいショットが撮れた。
さらに南に行くと、李舜臣(이순신)像。
光化門広場の南端には何かのブースが出ていた。セウォル号の遭難者の祭壇であった。300を超える死者、行方不明者の顔写真が掲げられており、涙を堪えることができなかった。
ここからホテルまでは700メートル位なので徒歩で帰ることに。
ウェスティン朝鮮ソウルの部屋からも見えたが、ソウル広場ではスケート場が開催されていた。
無くした手袋はユニクロで買ったもの。コネストの地図で調べたら、ホテルの近くのYOUNG PLAZAというビルにユニクロが入っているみたいなので寄ることに。日本語で調べたいときは、コネストの地図が便利。
YOUNG PLAZAの1階にはLINEのショップが。
5階だったかな?のユニクロでスマホ対応の手袋を購入。店員さんにすっごい美人がいた。
17時前にホテルに帰着。12,000歩以上も歩いてだいぶ疲れた。晩飯の時間までしばし休憩。
続きは以下をご覧ください。