今回は仙台泊の旅行。
日程は2017年8月8日(火)~9日(水)。
旅の目的は、
- 仙台七夕まつり
- 前回知り合った子にまた会いに行こう
の2点。
6月14日に、「スターウッド プリファード ゲスト」※の16,000ポイント※を使って、ウェスティンホテル仙台を予約。
※現在はMarriott Bonvoy。
東京-仙台の単純往復では面白くないから、行きはどこかで途中下車しようと考え、戊辰戦争の舞台の白河で途中下車することにした。
前日に、iPhoneのモバイルSuicaで、東京駅9:16発の「なすの255号」を予約。
「やまびこ207号」で新白河駅へ
当日は朝の3時近くまで飲んでから旅支度。
結果的に、9:16発の「なすの255号」に間に合わなくなってしまったので、10:12発の「やまびこ207号」に変更。
8:50に家を出る。
小田急もJRもちんたらしてて、東京駅に着いたのが10時。まともにお土産を買う余裕もなかった。
「やまびこ207号」乗車中、思わず撮った以下の写真は、宇都宮市にある新栃木変電所。
11:32に新白河駅に到着。
新白河駅
白河関。
白河もだるまの名産地らしい。群馬の縁起だるまはおっさん臭いのだが、白河のだるまは随分と童顔である。
ロッカーにスーツケースを預ける。
白河小峰城
タクシーで白河小峰城へ向かう。
台風5号の影響で曇天。曇天の地方都市を旅すると物悲しい気分になる。
12時に白河小峰城がある城山公園に到着。
広い芝生スペースがある。
東日本大震災で崩落した石垣の復旧工事をしていた。
さて、登っていこう。
半円状のちょっとおもしろい石垣の積み方をしている。「同心半円型落とし積み」といわれるそうだ。
階段を進むとあっという間に本丸へ到達する。
本丸御殿があったところ。ちょうど雨が降ってきた。
白河小峰城には天守がなく、写真の三重櫓が天守の代わり。
白河小峰城は、戊辰戦争で奥羽列藩同盟軍と新政府軍との攻防の舞台となって(白河口の戦い)、この三重櫓はその時に焼失している。
現在の三重櫓は、1991年に当時の資料を元に復元されたものとのこと。
復元天守というと、鉄筋コンクリート造がほとんどだが、白河小峰城の三重櫓はこのように木造で復元されている。
しかも、復元にあたって、「白河口の戦い」で奥羽越列藩同盟軍が布陣した松並稲荷山の杉を使っているようで、このように当時の鉄砲玉の跡が残っている。
松並稲荷山の場所を係の人に聞く。
急階段を登って3階へ。
外部から内部を見透かされないようにするための連子窓(れんじまど)がリアルに復元されており、眺望はあまり期待できない(笑) 下の動画を参考にしてください。
白河小峰城の三重櫓から。
連子窓のリアル復元で眺望はあまり望めない。 pic.twitter.com/u9bErpNjrA— jun (@odakyu_de_go) 2017年8月11日
方角からして、NTT東日本の電波塔の後ろに見える山が、松並稲荷山のような気がするがどうだろう???
白河藩の歴代藩主の家紋。たびたび藩主が変わっている。
久松松平家の「星梅鉢」がある。
「寛政の改革」で有名な松平定信は、田安徳川家から久松松平家に養子に入っている。その久松松平家は、その後「三方領知替え」で桑名藩へ転封するので、桑名城跡の鎮国守国神社でも久松松平家の「星梅鉢」を確認できた。
参考:桑名・名古屋1泊2日旅行記 (2) 七里の渡し、桑名城跡、六華苑を訪れる
外から見た連子窓。
ここからの眺め。
時刻は13時過ぎ。
白河集古苑で、白河結城家と阿部家に関する資料をサラッと見る。
白河藩の最後の藩主は阿部家だが、その阿部家は「三方領知替え」で忍藩から白河藩に転封になったんだよね。
見学した後、モバイルSuicaで、仙台までの特急券を予約。15:36発の「やまびこ211号」。
あと2時間くらい時間がある。昼飯にしよう。
歩いて白河駅へ。
「ラーメン英」で白河ラーメン
食べログで近所のラーメン屋をサーチ。「ラーメン英」という店がよさそうだ。
タクシーに乗って「ラーメンひで」と伝えたが、「?」の反応だった。住所を見せたら「あ、ラーメンはなぶさ、ね」と言われた。あぁ、経堂に「ラーメン英(ひで)」があるもんだから、つい(笑)
13:40に「ラーメン英」に到着。
手打ちラーメン 英 (はなぶさ) – 白河/ラーメン [食べログ]
カウンターも座敷も人がいっぱい。
メニューを見ると、醤油、塩、味噌がある。醤油が一番スタンダードと言われたので、醤油ラーメンを注文。
出てくるまで15分くらいかかった。
太めの縮れ麺。
あっさりしてるが深みのあるスープが旨い。
麺類は醤油ラーメンか沖縄そばだね(笑)
店には40分ほど滞在。
松並稲荷山
タクシーを呼んで、松並稲荷山の南にある「会津藩戦士墓」に向かう。
降りた場所は、このように大きくカーブした場所。
「現在城下を通る街道は、寛永4年(1627)初代白河藩主丹羽長重が、城下町を整備した時の形」で「敵の侵入に備えた防御の工夫」であるそうだ。
なお、丹羽家は、1643年に二本松藩に転封となり、その後戊申戦争まで続く。
この道路を挟んで、白河口の戦いで亡くなった会津藩士の墓と、長州・大垣藩士の墓が向かい合うように建てられていた。
Google Mapsを見ると、「会津藩戦士墓」とは別の場所に「白河口戊辰之碑」があるようだ。
向かってみる。
その場所は「稲荷山公園」として整備されていたが、あまり訪れる人はいないようだった。
道なき道を行く。
白河口戊辰之碑があった。
奥羽列藩同盟軍が陣取った、ここ松並稲荷山の地形を「スーパー地形」で確認してみる。赤丸の中心部が現在地だ。
対する新政府軍は、小丸山に布陣して砲撃してきたという。以下の写真の正面の山から打ってきたようだ。
2013年の大河ドラマ『八重の桜』でも、白河口の戦いは描かれていた。
砲撃を受ける陣屋のなかで、西田敏行演じる西郷頼母(白河口総督)が「稲荷山の砲台はなじょした?」と問い、部下が「我が方の弾は敵陣に届きませぬ!」と悲痛に叫ぶ場面が印象的だった。
約100日に及んだ「白河口の戦い」については、2018年に白河市が公開した以下の動画を見ると、理解しやすい。
近くには、その西郷頼母の歌碑もあった。
「うらやまし 角をかくしつ 又のへつ 心のままに 身をもかくしつ」
この白河口の戦いが戊辰戦争の趨勢を決定付けて、明治維新に繋がると思うと感慨深い。
時刻は14:55。
「会津藩戦士墓」近くのコインランドリーにタクシーを配車手配。
新白河駅に向かう。
この旅行記の続きは以下をご覧ください。