語学留学

マルタ島 語学留学の体験談

マルタ島語学留学体験談
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マルタ島に語学留学していた春菜さんに、授業内容や現地での生活、費用、留学によって生じた内面の変化などをレポートしてもらいました。

語学留学予定者の参考になると思いますのでご覧ください。

2015年6月から3ヶ月間、地中海のど真ん中であるマルタ島に語学留学に行きました。初めて1人で国際線に乗ることから始まり、これまでの人生で良くも悪くもいちばん濃い3ヶ月間を過ごすことができました。

マルタを選んだ理由

今回、私が選んだ留学先はマルタ共和国です。

マルタ島の位置

国を決めるまでに3社ほど、日本の留学エージェントに話を伺いにいきました。各会社、留学の目的、期間、予算をもとに私の希望に沿って国選びをしてくださいました。

私は当時、正社員としてクリニック勤務をしており、退職ではなく休職というかたちで三ヶ月間の期間をいただきました。当時マルタはメディアに取り上げられることも少なく、国名を初めて聞いたにもかかわらず私には最適な国だと感じ、マルタ留学専門のエージェントを利用させていただきました。

お国情報はきっとどこでも調べられると思うので、私から見たマルタ情報を簡単に紹介します。

  • 地中海のへそと呼ばれてるので、本当に海がきれい。
  • 食事はイタリアンが多い。
  • リゾート地ということもあり、いつでもどこでもパーティー。
  • 世界遺産に登録されている地域があり、歴史にも触れることができる。
  • 基本的にみんな優しくフレンドリー、マイペースな人が多い。
  • アジアの食材が売ってるスーパーにて、お米など購入可。
  • 歩きタバコが多いので注意。
  • 基本的にバスの時刻表は当てにならない。
  • ねこが多い。
  • 道の整備が不十分。

といったところでしょうか。私が滞在した期間は、夏のハイシーズンど真ん中の三ヶ月だったので、とにかく新入生も毎週100人単位で、海外からのホリデー旅行者であふれていました。なによりも、みんな友達ー!っという陽気な人が多かったです。

これから少しずつ、マルタでの生活を紹介していきます。

日本からマルタへ

実は初めての成田空港。かなり時間に余裕を持って到着したが、チェックインするまでに一時間ほど並んだ。ドバイにて乗り換えの便だったので、すでに石油王のような民族衣装をまとった人がちらほら。

そこで突然地震速報の警報とともに震度4の地震。重いスーツケースを押さえるのが大変だったのを覚えている。20キロのスーツケースと、7キロのバックパックを背負い、重量的にはギリギリクリアできた。

無事チェックインを終え、出国ゲートもクリア。これまでの海外経験は、修学旅行などの団体で動いていたため、一人での海外は本当に初めて。最後に母に電話をし、涙ぐみながら機内へ。

利用したのはUAE(アラブ首相国連邦)の航空会社、エミレーツ航空。EK319(成田-ドバイ)便。

エミレーツ・スカイワーズ会員であれば、JALのマイルが貯まるらしい。もちろん初めて利用したし、ある程度口コミなどは耳にしたことがあったが、そのままの通りエミレーツ航空はすごくおすすめ。まず、搭乗した際の独特な雰囲気、香り、機内で流れているバックミュージック、エキゾチックなCAさんの制服と帽子、、、今までに経験したことのない体感だった。

機内食も2回、軽いスナック菓子の提供、2500チャンネルものエンターテインメントに加え、Wi-Fi無料という充実したサービスのおかげで、日本-ドバイの10時間のロングフライトはそこまで苦でなかった。機内の照明が暗くなったとき、天井が満点の星空になったのが一番の印象にのこっている。少しわかりづらいが機内の星空の写真がこちら。

エミレーツ航空機内の星空

10時間ほどのフライトの末、ドバイ空港でEK107(ドバイ-マルタ)便に乗り換える。成田から乗ったときはたくさんの日本人がいたので、なんとなく心強かったがここにきてみんなばらばらになってしまうので再び緊張と不安に襲われる。ドバイ時間では朝の3時だったので、そんなに混雑もしていなかった。

4時間の待ち時間はコーヒーを飲んだり、空港内を探検していたらあっという間に過ぎた。

現金はユーロに換金して持っていたが、ドバイは、UAEドル。もちろんユーロで支払いは可能だったが、お釣りはUAEドルで戻ってきた。

無事に乗り換え、朝7時頃、最終目的地マルタへ向け出発。フライト時間に加え、時差もあるので、体内時計もわからなくなっていた。

キプロス島に駐機するエミレーツ航空

途中、キプロス島で一時間ほど駐機。いきなり機内清掃が入り、新たな搭乗客を乗せ、再び離陸。このことについては事前に何にも聞いていなかったし(英語でアナウンスはあったはず)、他の乗客がいる中、掃除機ガンガンかけはじめ、本当にマルタに着くか不安になった。

たくさんのトラブルを乗り越え、トータル約21時間をかけ、マルタ国際空港(luqa international airport)に着いた。早速スーツケースのローラーの一つが犠牲になっており、一定方向でないと進めない状態に。現地空港での手続きはしなかったものの、帰国後保険会社に話し、金額で戻ってきました。

空港からホームステイ先へ

学校の旗を持ったドライバーが空港まで迎えにきているということで、到着ゲートを出るとすぐに見つけることができた。同じ便に乗っていた生徒がいたらしく、三人集まったところで学校のある、セントジュリアンへ。飛行場からは車で30分程度の場所で、マルタで一番の繁華街と言われている。

空港とセントジュリアンの位置関係はこちら。

マルタ空港とセントジュリアンの位置関係

助手席に乗って単語を並べた英語で日本から来たことなど、ドライバーと会話を楽しみながら一緒に乗っていた生徒を順におろし、私が最後の番。海が近いから見せてあげると、海沿いを走ってくれることに。そこで目に飛び込んできた景色がこちら。

マルタ島の海の景色

写真撮っておいでー!と少しだけ停車してくれた。

本当に写真で見たままの景色。海の色は日本にない透き通ったグリーン。石造りの建物の色や、ロックビーチの柔らかい黄色がすごくマッチしていて、ラジオからながれる流行りのエレクトロニックダンスミュージック(日本ではクラブや若者の集まるとことでよく流れている)がすごく似合う景色だった。

本当に来てしまったー。ここまできたらやるしかない!というこれまでの不安や緊張の気持ちから一転、わくわくどきどきのやる気に切り替わったときだった。

滞在先の予定は、最初の一ヶ月ホームステイ、残りの二ヶ月間を学校のアパートを借りることになっていたので、まずはホームステイ先のお家へ。

ドライバーさんとは家の前でお別れし、一ヶ月お世話になるお家へ。

建築業をされているパパらしく、日本でいう高級マンションのような作りだった。

ママは金髪にところどころ緑のメッシュが入った笑顔の素敵なママだった。

留学生の受け入れはこれまでに何百人とされているらしく、私の他に4人の留学生が滞在中だった。

マルタのホームステイ先の部屋

家の作り自体、留学生用の三人部屋と二人部屋が用意され、バスルームが家族とは別になっており、家の合鍵も一人一つ持たされている。イメージしていたアットホームなホームステイとは少し違っていたが、それはそれで自由にできそうな気がした。

早速、ママに家でのルール(電気は必ず消すなど)食事の時間、学校までの行き方などを教わり、夕食までの時間に近くのコンビニのような小さなお店に行った。

三ヶ月滞在となると、日本から持ってこれる量に限界があり、消耗品であるシャンプー・リンスなどは持ってこなかった。値段はさほど日本と変わらないし、こういった消耗品に関しては何もこだわりがなければ日本からの持ち込みはしなくていいと思う。

この日は日曜日で学校も休みであったが、夕食の時間は他の留学生も帰宅し、初めての夕食はみんなで囲んだ。メニューは野菜や豆の入ったミートソースリゾットだった。

日本ではよく食べる方な私でも、正直少し量が多かったが、無理して食べたのを今でも覚えている。

同じルームメイトは高身長で洗練された顔立ちの当時私と同じ年(24)のフランス人と、小柄でよくしゃべるコロンビア人。二人とも気さくに話しかけてくれ、私のへたくそな英語もジェスチャーをつかってなんとか理解してくれ、すぐに仲良くなれた。

学校初日

学校初日。新入生はオリエンテーションとクラス分けテストがあるので、一般生徒に比べ、30分早く登校しなければならなかった。学校までは徒歩で20分は軽くかかる。

前日にホストマザーに道のりを教わったにもかかわらず、早速迷子に。グーグルマップをオフラインで使えるように設定していなかったし、自分と同じような留学生も同じ学校だとは限らない。昨日タクシードライバーが見せてくれた海沿いをひたすら歩いたが、正直綺麗な景色なんて入ってこなかった。。。

見覚えのあるピザハットのレストランを見つけ、無事に到着することができたが、10分ほど遅刻だった。

この日の新入生は100人程度。うち日本人は私含め3人。まず、全員で筆記のクラス分けテストを受ける。リスニングテスト、選択肢から選ぶ問題から簡単な小論文まで全部で1時間程度だったかな。スペルがわからなくても何か書けという指示であったため、ローマ字でもとりあえず感で空欄がないように解いていった。試験に関してはあえて何も勉強せずに臨んだので5年ぶり使う英語の脳みそは小さくなっており、とても難しく感じた。

その後は全員で移動しながら周辺施設の案内。歩きながらすでに友達のグループを作る子もいれば、同じ国籍でかたまる子もちらほら。ここに来てまで絶対に日本語を使いたくないと思っていたし、言い方悪いが、たとえ韓国人の友達を作ったとしても、きっと自分も韓国人に思われるというのが嫌だったので、とりあえずアジア集団から離れていた。

休憩をはさみ、テストの結果で振り分けられた明日からのクラスの時間割が一人一人に配られる。全体の時間割は大きく分けてAとBがあり、午前のみと午後のみの時間帯で分けられるため、AとBが違えば学校で顔を合わせることがないという。

学校側としては、早く気が合う友達を作って、マルタで楽しんでくれ!ということで、早速、向かい合った椅子を2列に並べて相手が代わる代わる座っていき、自己紹介を1分単位で行うという雑な合コンのようなレクリエーションが行われた。嫌でも恥ずかしがってる場合でもない状況の中、自分の英語力のなさを痛感した時だった。

あっという間に夕方になり、一時解散し、夜はウェルカムディナーという、新入生のみ集められ貸し切ったレストランで行われた。

そこでも、ひたすら友達を作るという場であるのであろうが、その写真をいま見ると、心なしかみんな疲れている表情だった。なんせ全員何時間ものフライトを乗り越えて昨日到着したのだから。だが、お酒も飲み放題で気も緩み、イタリアのおいしいワインの味なんて覚えていないが昼間よりかはフランクに会話を楽しめていたと思う。

その後は学校解散。近くにクラブ街があり、学校が貸し切ったダンスクラブで二次会が行われるというので参加した。やはりクラブのノリは万国共通。さっきまでの白々しいコミュニケーションは嘘のように感じるくらいかなり盛り上がった雰囲気で楽しめた。結局帰りの体力までも消耗してしまいタクシーで帰宅。治安がいいとはいえ、夜中に女の子一人で帰るのはさすがに怖く、かといって家が近い友達も知らないし、学生証の住所を見せ、ここまで送ってくれとお願いした。いま思うとタクシーに乗る方が危険だったなとも思う。

これにて初日終了。ここから先のことを日記のように書いていくと必要以上に長くなるのでカテゴリーを分けて書いていきます。

私が選んだ語学学校について

私が選んだ語学学校は、ニューヨークやロンドンなど、英語圏に数多く展開している語学学校だった。生徒の年齢層もばらばらで、私の滞在していた期間は夏休みだったこともあり、大学生が多かったが転職の合間にホリデー感覚で来ている人もいた。もちろん英語を学びに来ているわけなので、国籍も数え切れない。ヨーロッパということもあり、トルコ人、イタリア人、フランス人が多く感じた。あとはスペイン語が母国語の国。

日本人の割合はというと、、、正直他の国の語学学校との比較はできないが、私自身、日本人の少ない国と聞いてマルタを選んだのに、蓋を開けてみると同じ考えできた人ばかりだった。割合でいうと決して少なくはないと思う。同じクラスに日本人は必ずいたのでむしろ多いほう。韓国人もかなり多かったが、ずば抜けて中国人は一人しか見なかった。

授業のない時間は買い物に行くなり、観光するなり、自由に自分の時間を過ごして良い。

それに加え、学校が企画しているアクティビティが毎日用意されていて、内容も毎週更新される。学校のない土日に友達がいなくて何していいかわからない!という人も参加者は全員同じ学校の生徒なので、友達も作りやすい。個人で行くよりお金はかかるが暇することはなく、いいシステムだと思った。希望者は参加意向を事務員に伝え、お金を払う。もちろん内容によって金額も大きく異なるが大体0〜30ユーロ前後。基本的にマルタの観光地に行くツアーや、行くのに時間がかかる距離にあるビーチまでの送迎など。お金を払いさえすれば何度でも何人でも参加できるが、自分たちで公共機関を使って行ったほうが勉強にもなるし、安い場合もある。

あとは毎週月曜日に新入生を受け入れるのでそのたびにウェルカムパーティー。もちろん在校生も参加可能。

学校アクティビティ以外にも、個人的にホームパーティを開催する子もいたりで、各国の手料理をお互い作りあったりする機会もあった。

滞在期間は何歳であろうが学生の身分なので、学生証を見せれば安くなるところも多かった。バスやタクシー、美容室、ボーリング場、学校と提携しているスポーツジムも三ヶ月15,000円で入会できた(結果2回しか通わなかった)。

授業内容

続いて授業内容について紹介です。

初日のクラス分けテストで発表された私のレベルはpre intermediateで、日本語でいう中級クラス。授業内容はというと、もちろん英語を英語で教わるので、脳みそフル回転。これが今までにない感覚な分、本当に体力を使う。

コミュニケーションが主で、一つのトピックをみんなでディスカッションしたり、自分の国について何でもいいのでプレゼンテーションをしたり、授業内容は日によって、先生によって変わってくる。クラスのレベルによってもちろん内容も変わってくため、万が一授業についていけない場合は事務室に申請すればレベルを下げることも可能。一定周期でレベルチェックテストがあるので、8割スコアをとれば自動的に次のレベルのクラスに進むことができる。

希望者は、プラスの授業料を払えば一般授業に加えて、筆記、スピーキング専門の授業(課外授業なようなもの)を受けることも可能で、TOEICやTOEFL対策といったビジネス向けのコースも受講可能になる。

海外で起こった心境の変化とあるおじさんとの出会い

なんといってもコミュニケーション能力の違い。授業を受けていて思ったのが、アジア人は本当に無口。でも授業内容は確実に理解している。私たちが受けてきた教育は、先生と生徒、授業中は静かにしていなければならない、黒板に書かれたことを板書する、これが一般的ルールであるが、外国の教育方法とのいちばんの違いだったと思う。

ディスカッションのなかで、教育について話あったことがあった。日本の教育について話すと、驚く友達がほとんどだった。また、この件に関してもめたこともあった。レベルチェックテストは筆記のみのスコアで判断される。アジア人は授業中黙っていようが基本の文法やスペルの正確さなど、自国で学んできた基礎はしっかりできているため、筆記試験は断然強い。それに比べ、他の生徒は、授業中の積極性はあるものの、実際文法や単語が過去形になっていないなど、聞き苦しくはないものの間違った英語でも使うため、筆記となると格段に弱くなってしまうのだ。それでも次のレベルに上がれるのは点数を持ったアジア人。ロシア出身の子は、『それはおかしい。ぜんぜん喋ってないのになんでレベル上げるの?納得いかない。』と。これに関しては先生も渋い表情。それを聞いてる私も、複雑な心境だった。

お国柄、間違うと恥ずかしい、発音が変で笑われたら嫌だな、などという余計な気持ちがあるのでおとなしいのだと思う。しかし、滞在期間が長くなるにつれて、恥ずかしさなどはどんどんなくなった。むしろ、自分の意思表示ができる人の方が損しないと思うようになった。

これは私の性格上の問題だが、日本を離れ一週間。限られた時間でやらなければならないというプレッシャー、でも気持ちをうまく表現できないしどうしていいかわからない、などという病み期に突入したことがあった。家に帰ってもルームメイトがいるのでなかなか一人になれず、夕食後、家の近くの公園によく通っていた。そこで一人のおじさんに出会った。

ホームステイ先近くの公園

ベンチで音楽を聴いていた私に、『隣に座っていいかい』と近寄ってきた。その後もフランクに会話しつつ、片言ながら、うまくコミュニケーションがとれないことなど本音を話しているうちに涙が、、、。すると、『なんで悲しいの?留学生で日本から一人で来たことに誇りをもって。もっと自信もちなさい!こうやってコミュニケーション取れてるんだから、英語はしゃべれるんじゃん!』と。きっとこういうニュアンスだったであろうが、彼の言いたいことは伝わったし、なんで私が泣いてるかこのおじさん分かってくれてるということは私の英語って大丈夫なんだと少し目の前が明るくなった気がした。最終的にそのおじさんは、I love youとまで言ってくれ、下心を出してきてしまったので、これ以上は危険を感じたため、ありがとうとだけ伝え帰宅。笑

この日以来、本当の留学が始まったといっても過言でないと思えるほど、次の日からの過ごし方が変わった。

初めにも書いたとおり、極力日本人を避け生活した。日本人のグループは何人かで各地に遊びに行ったり、飲み会を開いたりしているようでそれなりに楽しそうに見えたが、あえて楽な環境に身を置かなかっただけ人一倍経験できたことが多いと思う。

もちろん仲良くなった日本人の友達もいて、そういう私の行動を見てると自分も本当はそうしたい、でも自信がなくてできない。と言っていた。決して簡単に壊せる壁でないが、人の目なんて気にするべきではないと思う。これから留学をお考えの方はぜひ、恥ずかしがらず、日本での自分を捨てて新しい自分を演じるような気持ちでいるときっと世界観は変わると思う。

引越し(ホームステイ先からアパートへ)

2ヶ月目からは、学校経由で借りたアパートを女の子とシェアしていた。シングルルームで申し込みをしたので、シェアする部分は、リビングルームとキッチンのみ。

学校の寮に住む友達の家には何度か遊びに行ったことがあり、手料理をふるまってもらったりみんなで飲み会をしたりと、引越し後は同じようにホームパーティーなんてできるかもー♪なんてわくわくしていたが現実は少しちがっていた。

引越し当日、ホストファミリーは朝から忙しく出かけるといっていたので、あらかじめ予約していたタクシーを使って荷物を運んだ。あまり深いコミュニケーションをとるようなホストファミリーではなかったが、やはりお別れは辛かった。初めの一週間は本当に無口だったわたしにママが、『ゆっくりでいいのよ、口に出せないことはメールでもいいから不安なことはなんでもいいなさいね。』と家の中でメールをくれたことがあった。お別れの際は「なんで泣くのよ!私はこれまでに何人もとお別れしてきたんだから泣きたいのはこっちよー!まだ2ヶ月もあるんだから、目一杯遊んで、お腹減ったらご飯食べに来なさいね!」とハグをして送り出してくれた。

前日に、新しいステイ先の住所と、鍵を学校から受け取る。放課後、暇してた友達を捕まえ、住所を元に一緒に家を見に行った。学校の近くのアパートだったので、毎日炎天下の中での通学は緩和されそうだと思った。学校側が割り振るので自分で部屋を選ぶことはできない。シェアする相手の情報も何もわからない。万が一、ルームメイトに不満がある場合は学校に申告すれば部屋は変えてくれるとのこと。

引越しと言っても、持って来た荷物をスーツケースにもう一度詰め、移動するだけというもの。心臓破りの坂の上に住んでいたので、距離は近いがタクシーで荷物を運ぶことに。

前日に予約したタクシーが家まで迎えに来てくれ、ルームメイトやホストファミリーとお別れをした後、車に乗ると、学校とは真逆のなぜか空港方面へ。スーツケースを持っていたので単純に空港行きと間違われ、朝から一問着あった。こんな感じでマルタ人は適当な性格。。。

部屋を開けると、20歳のフランス人の女の子が待っていた。『もう3週間も誰も来なくって、あなたを待ってたの!よろしくね』と。彼女も同じ学校の生徒だが、ルームシェアも楽しみの一つだったはずなのに、だれも新しい子が入ってこず、ずっと一人で生活していたのだという。冷蔵庫の中も、コーラとジャムしか入っていなかった(笑)

学校の寮に住む子の家は、毎週のように人の出入りがあり、基本4人でシェアをするのが普通。個人の食料は名前を書いてあったりするが、調味料などは置いて帰ったりするようで充実していた。

一方、私たちがシェアしていた家は、夏の期間だけ学校名義で借りている一室だったので、他のフロアは家族が住んでいるし、ソファや乾燥機付きの洗濯機が付いていたり、寮に比べるとリッチな作りだった。ただ、調味料や洗剤など、一から揃えなければならなかったため、そういった面ではお金がかかった。

家事洗濯はもちろん自分たちで行うが、毎週金曜日に学校が雇っているハウスキーパーのおばちゃんが来て個人部屋の隅々まで掃除をしてくれ、ベッドメイキングまでして帰ってくれる。すこし裕福な生活をしている気分だった。

補足だが、このハウスキーパーのおばちゃんは私の母と同じくらいの年齢で、流暢な英語でないながら一生懸命いろんな話をしてくれた。自分の娘と私が同じ年らしく、最後の日も泣きながら見送ってくれた。

マルタ島でのお買い物について

スーパーマーケットは充実しているため、困ることはない。ただ、基本的にパック詰めされたものは少ない。野菜でも、売り場に必ず測りが置いてあるので、店員さんに渡し測った上で金額のシールを貼ってもらい、レジにて会計をする。

日本に比べ、野菜の質は悪く感じた。気温のせいなのか傷んだものも平気で店頭に並んでいるし、フルーツや生野菜はお値段高め。

マルタ島のスーパーのフルーツ・野菜

日本では見たこともない地中海ならではの野菜や果物も多く、チーズの種類なども多かった。宗教によっては、食べられない食材もある。例えば、私の友達に多かったトルコ人はイスラム教。彼らは豚肉が食べられないため、ソーセージを選ぶ際もchickenやbeefの記載があるものを選ぶ。レストランやピザ屋さんでも必ず店員さんに確認を取った上でオーダーしていた。

洋服などは、ショッピングモールでしていた。日本からもたくさん持って行っていたが、やはり適当な格好をするわけにもいかず、散々買い物をしていたと思う。学校の近くにもショッピングセンターはあったが、やはりみんなそこで買い物をするのでお互いかぶることは珍しくなかった。そのせいで、欧州人は似たような顔だちなので、後ろ姿で人違いをしてしまうこともあった。私がよく行っていたのは学校からバスで20分ほどの距離にある、ショッピングゾーンといわれる観光客に人気な地域。大きなモールを中心に、路面店もたくさん並んでいる。マルタは実は道があまりきれいでないし、なによりもとても歩くので、運動靴は必須。新品で履いていった、真っ白のスニーカーも、洗っても取れないレベルで汚れたし、コンバースのスニーカーも色あせて持って帰ってきた。

マルタは島国なので、きっと流通できる量に限りがあるティッシュやトイレットペーパーなどの紙製品は高いと感じた。マルタから宮崎に送った手紙は約2週間後の到着だった。

洋服のブランドはというと、ZARAや、 ZARAの姉妹ブランドなどがメイン。値段も日本のファストファッションと変わりない感じだった。水着は比較的安いけど、日本人体型に合う水着はあまり多くなかった。笑

日本から持って行った洋服は安いTシャツがメインだったが、日差しによる色あせや洋服に優しくない洗剤や洗濯機のせいですぐクタクタになりほとんど捨てて帰ってしまった。荷物で一番かさばるのは洋服なので、最低限で出発し、現地で調達するのもオススメだと思った。

マルタの美容情報(マツエク)

女性がきっと一番気になる、留学期間中の美容室などの自分メンテナンス。女性の方はきっと共感していただけると思う。

私は日本では、月に一回、美容室でカラーリングとまつげエクステに通っていた。出発前に、いつもお世話になっている美容師さんと計画を立て、小分けのトリートメント剤をもらい、いつもよりも暗い色に染めた。

まつげエクステに関しては、月に一度はメンテナンスを行わないと、自分のまつげとエクステの差がでてしまいボロボロになるため、マスカラで頑張ろうと、全て外して行った。

現地で仲良くなった女の子の情報だと、日本人の年配の方が経営している美容室があるとのこと。長期滞在の子や、男の子はそこにみんな行っているらしい。私は伺うことはなかったが、なんせ週に一度は海に行って泳ぐし、シャワーの水も日本のように良い質ではない。あとはシャンプーも現地で調達したものを使っていたため、これも刺激が強い。帰国する頃にはカラーリングも落ち、これまでにない金髪になってしまっていた。
 
まつげエクステに関しては半ば諦めていたが、韓国人の友達がネイルサロンに通っており、そこでまつげエクステもしているという情報を入手した。

英語力も付き始めた2ヶ月目だったので経験の一つとして行ってみることに。学校の近くのショッピングセンターの一角に入っていた。

日本のサロンでのオーダーの仕方は、「長さは?何本つけますか?」といった、仕上がりの濃さの好みで本数を決めていく。ここではつけるエクステの長さのみの質問で、何本つけるの?と質問したところ、『何言ってんの!そんなのあなたのまつげが何本生えてるか次第よ。私は今までまつげの本数なんて数えたことないわ』と。。。まじかよ、と心の中で思いつつ既に施術台の上で目をつぶっていたわけで、完全にお任せすることに。2時間ほどかかり(日本では1時間くらい)ようやく終了。ドキドキしながら鏡を見ると、おおおーやられてしまったな。という仕上がり。やはり外国仕様。わかりやすくいうと、すごく濃いつけまつげをつけられた感じだったし、一本一本のまつげが太いため、目を開けているだけでものすごく疲れる。この日からの数日間の眼精疲労はひどかった。

次の日に、サロンを教えてくれた韓国人に会い、爆笑された。。。何人かの日本人にも、よく勇気出して行ったね!と、どっちつかずのコメント。ただロシア人やイタリア人の友達には好評だった。どこでやったの?すごくいいわね!と。その度に紹介し、店員さんにも感謝をされるほど。結果、日本同様、メンテナンスを行わないと不自然なままなになってしまうので、帰国するまでの間、定期的に通っていた。二回目以降は、あまりつけなくて大丈夫、と要望したところ、一回目ほどバッチリ感はない仕上がりにしてくれていた。(店員さんからすれば物足りなさそうだった。)

店員さんとも仲良くなり、最終回に帰国することを伝えると『あなたが来るのをいつも楽しみにしてたの、アジア人にしては目が大きいから大変だったわ。また来年の夏待ってるから、英語頑張ってね!』と。名残り惜しいお別れだったが、彼女にはお世話になった。

冒頭にも書いた通り、そのサロンはネイルと美容室も行っている。日本ほどのクオリティは求めたらだめだが、経験としていってみるのもいいと思う。汗であまり化粧をする気にもならなかったし、海に入る機会も多くあったので、マツエク経験者にしか分からないことだが、やらない苦よりいいと思う。金額は日本とさほど変わりはないし、学割も効いた。

残念ながら、携帯電話の盗難により、写真は残っていない。。。ゴメンなさい。

マルタ島のWiFi事情

生活する上で、なくてはならなくなってしまったインターネット。自分がどれだけネットに依存していたのかと知るいい機会にもなった。

3ヶ月の滞在だったので、特に日本での契約変更や解約などはせず、現地でwifiのみで使うつもりで出発した。
※ちなみに盗難に遭った時は、海外専用ダイヤルから電話をかけて、利用停止の手続きをしました。

ホームステイ先、アパート、学校はwifiを使うことができるので屋根の下にいる限り困りはしなかった。観光客が多いこともあり、レストランや、カフェなどはfree wifiがあるところがほとんどで、快くパスワードを教えてくれていた。

ひとつ問題なのが、外で待ち合わせをするときや、ビーチにいるとき、非常事態に連絡ができないというのが苦痛だった。

例えば、友達と『ここに◯時ね!』と会う約束をしたとき。家から一歩でてしまえば、インターネットが切れてしまうので、確実にその時間にその場所に行かなければならないという責任感のある待ち合わせであった。万が一、バスが来ないだとか、寝坊したり、今から家を出ると伝えたのに、緊急事態が起きてしまったとき、連絡が取れないゆえ友情の危機に陥ることもある。これがまた国籍によって時間にルーズなのか、待たされるとすぐに怒ったりと、いろいろあるので今振り返るとおもしろい部分でもあったと感じる。ビーチにいるときは、泳ぐよりも砂浜の上で昼寝をしたりのんびり過ごすことが多かったのだが、インターネットが使えない分、友達とより英語で会話をするきっかけになり、単語がわからなくてもオフラインではすぐに調べることができないのでそこからまたさらに噛み砕いて英語で説明するという、スピーキング力を鍛えるにはとてもいい勉強にはなっていた気がする。

マルタの待ち合わせスポットといえば、「LOVEモニュメント」。

LOVEの文字が逆さまになっているモニュメントで、影を見ると読めるような作りになっている。待ち合わせの目印にもなるので、『◯pm, at LOVE! 』という言葉はよく使っていた。

Googleマップは、マイプレイスを登録しておけばGPS機能はオフラインでも使用できるのでとても便利だった。

まとめると、3ヶ月滞在程度であれば、新しくプリペイド携帯を契約する必要はないと感じた。中には、半年以上の滞在でパソコンのみで過ごす友達もいたし、毎週のようにプリペイドカードを購入している若い世代の友達もいたので、ここは人それぞれになってくるが、どれだけ便利な世の中で生活しているのかと振り返るいいきっかけになったと思う。異国の地での生活をより充実させるには、気持ち的にも日本から離れた生活を送ってみるのもいいと思う。

予期せぬ出来事

たった三ヶ月滞在でも数え切れないくらいのトラブルに直面した体験記を紹介します。異国の地で、言語もたどたどしく、普通に生活するだけでも日本にいるときの何倍もの体力と精神力が必要なのに、なんでいまここで、という出来事があった。

携帯電話の盗難

一つ目、携帯電話の盗難。

その日は金曜日で学校のパーティに参加していた。パーティーといっても、貸切のクラブでいつものようにお酒を飲んで、音楽にのって楽しんでいた。観光客もかなり増えてきた時期だったので、どこのクラブも満員電車以上の混み具合で、友達同士で手をつないだりしていないとすぐにはぐれてしまうし、背の低い日本人は汗臭い人ごみに埋もれてしまう。

午前3時頃、そろそろ帰ろうかと思っていた矢先、クラッチバックに入れていた携帯で時間を確認しようと思ったところ事態に気づいた。・・・携帯がない。。。

私が持っていたのはihone6 128GB。iphone6は狙われやすいので注意するようにと学校側からも知り合う友達からも言われていた。正直、wi-fiがある場でしか使えないようにしているので外出先では写真を撮る以外使い物にならないが、もちろん持ち歩いていたわけで、、、なくなったことに気づいてすぐ、従業員に確認を取ったが、あーあ。みつからないと思うよーどんまい。といった様子。

そのとき一緒にいた日本人の友達に慰められながら帰宅し、すぐさま日本の携帯会社に連絡。海外旅行などでもよくありがちなことなので、24時間対応の窓口が対応してくださった。見つかったときのことを考え、一時的に利用停止することで限界だった。あとは、自分のmacbookを使ってiPhoneを探す機能などを試したが、手掛りも得られず終了。

翌日、パスポート持参で警察に。日時、場所、最後に携帯を確認した時間など細かく聞かれ(これがまた英語なので悪戦苦闘)書類にしてくれた。待ち時間も手間もかかったが、これが帰国したときに保険会社に提出する重要な書類になるので、やっておいて損はない。

1ヶ月分のマルタの写真たち、友達の連絡先、全てなくしてしまったときのショックさは今でも忘れないが、携帯がない時代の生活を想像したり、facebookなどで写真を共有してくれた友達の温かさで気を紛らせた。結局諦めきれず、マルタで新品を一括購入してしまい予期せぬ大出費となってしまったが、今でも使っているこのiPhoneの変換がたまに変になったり、漢字が中国語っぽくなったりするたびに、大事に使ってあげようという気にさせてくれる。

残念なことに失くなった携帯はみつからず、ただ帰国後しっかり保険会社からある程度の金額も戻ってきたのでいい経験として糧になりました。

ボヤ騒ぎ

二つ目、ボヤ騒ぎ。

大学の研修で来ていた韓国の女の子と知り合い、帰国直前の3日間の滞在先がないとのことだったので、私の家に泊めさせてあげていたときに起きた出来事。

シングルルームの私の部屋は、すこしおしゃれな作りになっていて、壁に備えつけの間接照明があった。だいたい予測はつくだろうが、その間接照明にバスタオルをかけていたことが原因で出火した様子。自分でも知っていた事実だが、壁と照明の間に隙間があり、覗いたらコードが見える程度だったのでまさかそこから火がでるなんて夢にも思わなかった。

事件当時、私は外出しており、韓国人の友達が第一発見者だった。自分の荷物を取りに部屋に入ったところ、部屋中が煙だらけでもくもくと火が上がっていたそう。わたしが戻った時には火は消えていたがまっくろになった壁と燃え尽きたバスタオルが灰になって舞っていた。下の階に住んでいたスイス人の長身イケメンが騒ぎに気づき、あがってきてくれた。パニックになっていた私達を見るなり、大丈夫?怪我は?新鮮な空気を吸って。と。ドラマのようなシチュエーションで、後々振り返ったときにその友達と笑い話になった。

その男の子が流暢な英語ですぐに学校に連絡してくれ、セキュリティのおじさん登場。怒られるとおもったが、無事でよかったと温かい言葉をかけてくださった。

結局、翌日に学校から呼び出しを受け、日本人スタッフも交えて話し合い。ブレーカーがショートして工事がいるレベルまでに及んでしまったため、半額弁償ということになり、日本円で4万円くらい支払った。幸い、バスタオル以外に燃えたものはなかったし、ただただ見つけてくれた友達、助けてくれた隣人に感謝すべき出来事だった。Beforeとafterの写真を添付します。

マルタ島の部屋のボヤ騒ぎ

三ヶ月の総まとめ

はっきり言って、24年間生きてきた中で一番濃い3ヶ月だった。留学の決断から資金作り、情報量のない国をあえて選んだからこそ、過ごした時間は人一倍価値のあるものだったと自信をもって言える。特に、社会人3年目の節目に行ったからこそいいリフレッシュにもなり、自分の人生を見つめ直すきっかけになり、新たな目標も見つかった。

留学先で出会った多国籍のたくさんの友達を通じて、各国の文化や宗教についてなど、語学以外に学ぶことができた。また、どれだけ自分が日本のことを知らないかという面で恥ずかしい気持ちになったこともあった。言葉にして表現するのはすこし難しいが、これまでの自分の生活の一つ一つに日本の文化があるという観点でみたことがなかったから、外国人に日本の良さや特徴を説明するのが難しいのではないかなと思う。

海外で生活してみたい!楽しそうな写真をSNSにアップしたい!そんな軽い気持ちで飛びだしただけだったが、今思えば、帰国して世界観は180度変わった。英語以外にも習得したい言語を調べたり、次はこの国に行ってみたいという気持ちになったり、これまで以上に世界に目を向け、好奇心が湧くようになった。マルタで出会った友達とは今でも連絡を取り合う仲だし、事件や災害のニュースを聞いて心配してくれる友達がたくさんいる。肝の英語はもちろん行く前に比べたら習得して帰ってこれたが、知らない単語もまだまだたくさんあるのでもっともっと勉強して今しかできないことにたくさん挑戦したいなと思うようになった。そのためにも1日1日を大切に過ごしたり、自分に関わる全ての人に感謝しながら生きていきたいなと感じた。

最後になりましたが、これから自分の見たことのない世界を、自分の目で確かめる旅をたくさんしたいです。

マルタ島の草原

留学にかかった費用

大きく分けて、学費・海外留学保険・生活費の3つの内訳を紹介します。

学費

私が選んだ学校のカリキュラムは、月~金の1日4時間授業、90分の特別集中授業(希望者のみ)、滞在方法は、最初の30日ホームステイ(相部屋)・残り60日賃貸アパート(個室)。

日本の留学代行エージェントに事前に支払った金額は、657,240円。
これに別途、マルタまでの飛行機代172,800円が加わる。

マルタは6・7・8月はハイシーズンとなるため、学費も滞在費も通常時の2割り増しになるとのこと。また、ホームステイか、寮かの違いで多少金額も異なる。

エージェントにて学校選びや滞在方法(ホームステイか寮)などひとりひとり親身に相談に乗ってくださった。予算に応じて自分の納得いくようにアレンジできる点が良かったと思う。エージェントを通すと割高になると言われているが、相性だと思う。無知な状態から、すべてをサポートしてくださったのですごく助かった。

海外留学保険

正直3ヶ月滞在となると、入っていくべきか最後まで悩んだのが保険。なぜなら、病気に関してはある程度の常備薬は持っていくつもりだったことと、持っているクレジットカードに海外旅行保険がついているのでそれで賄えるだろうと思い、少しでも留学費用を抑えるためには特に重要視しなかった。

エージェントからいくつか勧められた中から私が契約したのは、ジェイアイ傷害火災保険の海外旅行保険。出国日から帰国日の期間で、37,430円。

安全をお金で買うと思いなさい。という知人の勧めで渋々契約したがこれがのちのち、入っていて良かったなと身をもって体感することになった。

病院にいくほどの病気や怪我はしなかったものの、前記事で書いたiPhoneの盗難と、スーツケースの破損が保険の適応になったため、そのことについて簡単に紹介します。

帰国後、保険会社に電話にて問い合わせたところ、手続きに必要な書類を送ってくださった。

スーツケース破損に関しては、メーカーの名前、金額、使用年数を記入し、スーツケースごと引取に来ていただいた。状態によっては修理をして返却してくれる方法か、見積もりで購入金額の一部を返却してくれる方法を選べたため、後者を希望した。

一方、iPhoneに関しては必要な書類があったためすこし手間がかかった。勘違いしていたのが、新しく購入した物の金額が返ってくるのではなく、紛失した物の一部が返金されるということ。

一応、紛失してすぐに警察に行った際に、なくした場所、日時、物の種類、シリアル番号などが書いた書類と、新しいiPhoneを買った時の領収書を大事にとっておいた。ただ、大事なのは紛失したiPhoneを購入したときの領収書。。。もちろん1年前の話だし、残しているものではなかったので、携帯会社に出向き手続きを行った。同時にSIMカードの再発行やサブ使用していた携帯の解約などの手続きも行えたのだが、意外と頭をつかったりで時間がかかる作業だった。

数日後、保険会社から連絡があり、購入金額と使用年数から計算した金額が返金され、帰国後の金欠の足しにすこしなったが、結果的にマルタで買ったiPhoneのほうが割高になっていたこと、LINEの引き継ぎができなかったこと、同期してなかった期間の写真が消えてしまったことを含めると、失うものは多かった。日頃から気をつけて生活をしなければならないと思い、勉強になった。

生活費

生活費、つまりおこづかいは正直細かい金額はわからないが、総額70万は遣ったと思われる。現金で20万円ほど持って行き、カード決済が嫌われないかぎり、現金はなるべく残して持っておいた。長期滞在予定の場合はHSBCなどの口座を作っておくとATMが利用できるので便利だと思う。

ホームステイをしていた時は、食事付きなのであまり大きな出費をすることがなかったが、引っ越してからは食費もかかるようになり、生活に慣れてくると洋服代などにもけっこう遣っていたと思う。あとは、バルセロナ、シチリア、トルコの旅費も含まれるので、生活費のみでいうと50万くらいといったところでしょう。

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haruna
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4人兄弟の末っ子として宮崎県で誕生。経験になると思ったことは、時間もお金も惜しまず行動するせいか、友人からは生き急いでるとよく言れます。棺桶に入るまでの人生をいかに充実させるかをモットーにいろんなことに挑戦しています。肩書きは歯科衛生士ですが、中身は冒険者だと思っています。冒険をするときに事前に知っていると役立つと感じた事を紹介したり、写真とともに読む人の記憶に残ってもらえればと思いながらブログを書いています。好きなことは、人間観察、独り占めで夕焼けを見ることです。

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